カイ・クリスチャンセンという人物と宮崎椅子製作所について
こんにちは、スタッフのベップです。
今日は、私たちスタッフが愛してやまない宮崎椅子製作所と、その工房でつくられるカイ・クリスチャンセンの家具についてお話ししたいと思います。
今年に入ってから、店内ではカイ・クリスチャンセンの椅子(No.42、Uni-senir、Uni-Master)やテーブル(ユニバースダイニングテーブル、Uniサイドテーブル)の展示を少しずつ増やしてきました。

静かで控えめなのに、確かな美しさと存在感がある。そんなカイさんの家具が、私自身も大好きです
現在カイさんの家具をつくっているのは徳島県の宮崎椅子製作所。
大規模なメーカーではなく、職人の工房に近いスタイルだからこそ、一本一本に手間ひまがかかり、納期もゆっくり目です。


展示品の発注をしてから入荷を今か今かと心待ちにし、新しい家具が届くたびにスタッフみんなで盛り上がる。そんな瞬間が今年は何度もありました(笑)
それだけ、カイ・クリスチャンセンのデザインと宮崎椅子製作所に惹かれているのです。

宮崎椅子製作所がつくるカイさんのプロダクトは大量生産品ではありません。
いつでもどこでも手に入るものではなく、職人たちの丁寧な仕事によって一脚ずつ仕上げられます。

装飾を削ぎ落とし、シルエットやプロポーションで勝負するデザインは、説明しなくても見て、触れていただくだけで多くのお客様が興味を持ってくださいます。スタッフも、その魅力をできるだけ丁寧に伝えたいと思いながら接客しています。
さて、前振りが長くなってしまいましたが、本題のカイ・クリスチャンセンという人物について深ぼってご説明していきます。
ちょっとマニアックですが、知っているとよりカイさんの家具が魅力的に見えてきますよ~!!ついてきてください!
Contents
北欧デザインの黄金期を支えたカイ・クリスチャンセン

北欧家具デザインの黄金期を支えながら、その名前は知る人ぞ知る存在、カイ・クリスチャンセン(Kai Kristiansen, 1929年生まれ)は、デンマーク出身の家具デザイナー。
彼が活躍した1950~60年代といえば、アルネ・ヤコブセンやハンス・J・ウェグナーなど世界的な巨匠がひしめく時代。しかしクリスチャンセンの名は、それら「有名デザイナー」に比べると日本ではまだ馴染みが薄いかもしれません。実は、彼こそ北欧モダンデザインを陰で支えた実力者の一人。近年になり、その作品群がヴィンテージ市場や復刻プロジェクトを通じて再評価され、「知る人ぞ知る」存在から本当の意味で知られる存在へと躍り出ようとしています。
では、カイ・クリスチャンセンとは何者なのでしょうか?彼の家具デザインはどのように生まれ、どんな哲学に基づいているのか。本記事では、その人物史と代表作のストーリーをひも解きながら、日本とも深い繋がりを持つクリスチャンセンの魅力に迫ります。北欧家具ファンの方も、初めて名前を聞く方も、このデザイナーの物語から北欧デザインの奥深さを感じていただければ幸いです。
人物史とデザイン哲学
デンマークの小さな町から

1929年、カイ・クリスチャンセンはデンマーク北部の自然豊かな町に生まれました。周囲には海と森林が広がり、倹約と質素を重んじる文化(ルーテル教会の影響)が根付いた環境でした。父親が大工だったこともあり、幼い頃から木を相手にする暮らしです。まだ少年のうちに家具職人への道を志し、第二次大戦後の1940年代半ばから修業を開始。20歳で一人前の家具職人となった後、さらなる高みを目指してデンマーク王立美術アカデミーの家具デザイン科に進みました。

在学中に師事したのは、“デンマークモダンデザインの父”と称される巨匠コーア・クリント。クリントは徹底した人間工学と機能主義で知られ、家具はまず使い手ありきという信念の持ち主でした。例えば人体寸法を細かく調べ、椅子の座面高や角度を科学的に割り出すなど、当時としては革新的な手法を取っていたのです。弟子のクリスチャンセンもこのアプローチに感銘を受けました。実際、彼のデザインにはクリント直伝の“人間中心”の考え方が色濃く反映されています。後年クリスチャンセンは「家具は実用に徹するべきだが、それだけでなく私たちの生活を美しく彩ってくれねばならない」と語っています。「機能と美の両立」、師から受け継いだ理想を、彼は生涯胸に刻んできたのです。
26歳で独立、飛躍の1950年代

アカデミー在学中から頭角を現したクリスチャンセンは、1954年前後(20代半ば)で早くも自身の設計事務所を立ち上げました。翌1955年には最初の大きな挑戦が待っています。コペンハーゲンで開かれたデンマーク家具職人組合の展覧会に椅子を出品したところ、一等賞を獲得。この椅子こそ後に名作として知られる「モデル31」チェアでした。背もたれが三日月形にカーブしたエレガントな肘無し椅子で、当時はまだ名前もなかったのですが、その洗練さが高く評価されたのです。
さらに彼を一躍有名にしたのが、1956年頃にデザインした「No.42」チェアでした。これは背もたれが可動する独創的なダイニングチェアです。


26歳という若さで発表したこの作品は、業界に大きな衝撃を与えました。「後ろ脚の先端で背もたれを支えるなんて前代未聞だ」と。実際、No.42は見るからに型破りでした。横から見るとアルファベットのZのような鋭角的フォルム、浮いているように見える背もたれ。しかし座ってみると驚くほど体にフィットし、見た目以上に実用的で快適だったのです。このミスマッチの妙こそ、クリスチャンセンの真骨頂でした。
彼の活躍は椅子に留まりません。1957年には、壁掛け収納のモジュールシステム「FMレオルシステム」を発表します。これは板と棚を自由に組み替えられる画期的なシステム家具で、のちにドイツのデザイナー、ディーター・ラムスが「ヴィツゥ606システム」を発表する3年前に既に存在していました。北欧だけでなくアメリカにも輸出され、当時ベストセラーとなったこの製品は、「必要な分だけ買い足せる家具」として現代でいうサステナブルな考え方を先取りしていたと評価できます。
こうした成功を経て、クリスチャンセンは1950年代後半には早くもデンマークデザイン界のホープとなっていました。1958年には北欧の若手登竜門ルニング賞を受賞。さらに1960年にはノルウェー工芸賞、1970年代にはエッカースベア賞と、栄誉も次々と授与されています。同時期、彼はデンマーク国内の家具メーカー数社と契約し、多くの製品を世に送り出しました。中でもMagnus Olesen(マグナス・オルセン)社との協働では、後に大ヒットする「ペーパーナイフ」シリーズを生み出しています。

またフリッツ・ハンセンからは収納家具、その他Kjærsgaard社やTarm社などからも椅子やテーブルを手掛け、幅広いジャンルで才能を発揮しました。こうして「北欧モダン第3世代」の旗手として、ニールス・O・モラーら同世代デザイナーと肩を並べたのです。
量産への挑戦と“美しい合理性”
クリスチャンセンのキャリアは、一貫して「美」と「合理」の両立がテーマでした。彼は学生時代から、当時盛んになりつつあった工業生産にも関心を持っていたようです。実際、彼の初期作品には面白いエピソードがあります。1951年にデザインしたテーブルでは、なんと発送用の木箱までセットで設計し、組み立て後に木箱を送り返して再利用できる仕組みにしたのです。「経済性、エコロジー、常識(コモンセンス)」を口癖にする彼らしい発想で、クリスチャンセンは「家具デザイナーは机上の芸術家ではなく、暮らしと製造現場の両方に責任を持つべきだ」という姿勢を貫きました。

彼の作品の魅力は、奇抜さではなく静かな個性にあります。装飾過多な要素は排し、シルエットとプロポーションで勝負する。たとえばNo.42にしても、背もたれは浮いていますが全体のシルエットはオーソドックスな肘付き椅子の延長線上にあります。「正しい形は美しい形」あり、結果として美しければそれは機能的にも正解なのだ。そう信じて細部を磨き上げるクリスチャンセンの作風は、一見控えめでありながら、使う人に長く寄り添う力強さを持っているのです。
宮崎椅子製作所の家具を長野県で見るなら…
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