ブルーノ・マットソン|座り心地を調べた人、日本でつくった椅子

座るという、何気ない行為を考える。
私たちは毎日、何度も椅子に腰掛けています。
食事をするとき。仕事をするとき。本を読んだり、身体を休めたりするとき。
同じ「座る」という行為でも、そのときの身体の姿勢はずいぶん違います。
食事をするときには上半身を起こし、手を動かしやすい姿勢をとります。一方、くつろぐときには背もたれに身体を預け、足を伸ばしたくなることもあります。
椅子の形は、そうした身体の動きや姿勢と深く関わっています。
20世紀のスウェーデンで、この「座ること」を熱心に研究した家具デザイナーがいました。
ブルーノ・マットソンです。
曲げ木の美しいフレームを持つ椅子や、ピート・ハインとともに手がけたスーパー楕円テーブルで知られる人物ですが、彼の仕事をたどると、その関心は一貫して人間の身体と暮らしに向けられていたことが分かります。
家具職人の家に生まれて

ブルーノ・マットソンは1907年、スウェーデン南部のヴェルナモに生まれました。
父のカール・マットソンは家具職人で、家は代々木工に携わっていました。
ブルーノも幼い頃から父の工房で木材に触れ、家具づくりの技術を学びます。
ただし、彼は伝統的な家具のつくり方を受け継ぐだけでは満足しませんでした。
1920年代から1930年代にかけて、ヨーテボリのロースカ美術館からデザインや建築に関する本を借り、独学で新しい家具づくりを研究していました。
当時のヨーロッパでは、装飾を重ねた伝統的な家具から、機能や合理性を重視した新しいデザインへと関心が移りつつありました。
1930年、マットソンは奨学金を得て、ストックホルムで開催された大規模な展覧会を訪れます。
そこでは、建築や家具、生活用品などを通じて、近代的で合理的な暮らしのあり方が提案されていました。
この経験は、彼が自身の家具づくりを見つめ直すきっかけとなりました。
家具は、昔からある形をそのまま踏襲する必要はない。
使う人の身体や生活に合わせて、もっと新しい形を考えられるのではないか。
そんな問いが、彼の仕事の出発点になっていきます。
雪の上に座って、椅子の形を考える
マットソンの仕事を紹介するとき、よく語られるエピソードがあります。
彼は椅子の理想的な曲線を探るために、雪の上に実際に腰掛け、そこに残った身体の跡を調べていたというのです。
少し変わった研究方法に思えますが、彼が何を知ろうとしていたのかを考えると、とても興味深い話です。
椅子は、人の身体を支える道具です。
けれど、人間の身体は平らでも、直線的でもありません。
背中から腰、お尻、太ももへと、身体には連続した曲線があります。また、どのような姿勢をとるかによって、椅子にかかる体重の位置も変わります。
マットソンは、そうした身体の形や重さのかかり方を知ろうとしていました。
そして、従来の椅子の形に身体を合わせるのではなく、身体に合う形を椅子に与えようと考えたのです。
彼が研究していたのは、単に柔らかい椅子のつくり方ではありませんでした。
木材や布といった材料を使い、人の身体をどのように自然に支えられるのか。
その研究が、のちの美しい曲線を持つ椅子へとつながっていきます。
最初は受け入れられなかった、グラスホッパー
1931年、マットソンは地元ヴェルナモの病院のために、一脚の椅子をデザインしました。
「グラスホッパー」と呼ばれる椅子です。
グラスホッパーとは、英語でバッタのこと。
大きく弧を描く木製の脚とアームが、バッタの脚を思わせることから、そのように呼ばれるようになりました。
この椅子には、従来のような厚いクッションやスプリングはありません。
木製のフレームに、麻の帯状の素材を編んだ座面を組み合わせることで、身体を支える構造になっていました。
ところが、この椅子は病院の職員たちにあまり受け入れられませんでした。
当時としてはあまりに変わった姿だったため、使われることなく屋根裏へしまわれてしまったと伝えられています。
今では北欧モダンデザインの先駆的な作品として紹介される椅子ですが、誕生した当初から高く評価されていたわけではなかったのです。
それでも、マットソンは研究をやめませんでした。
木材を曲げる技術や、身体を支える座面の形を改良しながら、少しずつ新しい椅子をつくり続けていきます。
木を曲げ、身体を支える

マットソンの椅子を見ると、曲げ木の美しさが印象に残ります。
木の薄い板を何枚も重ね、接着しながら曲げて成形することで、細くても強度のある部材をつくることができます。
この技術を使えば、無垢材を大きく削り出すことなく、滑らかな曲線を持つフレームをつくることができます。
マットソンはこの技術を研究し、身体の形に沿う椅子へと発展させました。
その代表作のひとつが、1930年代に生まれた「エヴァチェア」です。
緩やかに曲がる木製のフレームに、帯状のウェビングを編み込んだ座面。
厚いクッションに身体を沈めるのではなく、張り渡された帯が身体を受け止める構造です。
この座面には、ある程度のしなやかさがあります。
身体の重さを受け止めながら、背中や腰に沿って支える。見た目にはとても軽快ですが、その形には座るための工夫が込められています。
また、マットソンは椅子の用途によって、適した姿勢が異なることも考えていました。
仕事をするための椅子。
ゆったりと腰掛けるための椅子。
身体を大きく後ろに倒し、休息するための寝椅子。
1930年代には、こうした異なる用途に合わせた椅子を開発しています。
椅子は、どれも同じように座れればよいわけではありません。
そこで何をするのかによって、身体に必要な支え方は変わります。
その当たり前のようでいて、見落とされがちなことを、マットソンは家具の形にしていったのです。
世界へ広がった、スウェーデンの新しい家具

マットソンの研究は、やがて国内外で注目を集めるようになります。
1936年、ヨーテボリのロースカ美術館で個展を開催。
翌1937年には、パリ万国博覧会のスウェーデン館に作品が出品され、国際的に高い評価を受けました。
さらに1939年には、ニューヨーク近代美術館の新しい建物で使用する家具として、彼の椅子が採用されています。
木材と帯状の素材で構成された、身体の曲線に沿う家具。
現在では北欧デザインの特徴として広く知られるようになったその軽やかな姿も、当時は新しい家具のあり方を示すものでした。
マットソンはその後も、椅子の研究を続けていきます。
1944年には、身体を深く預けて休息できる「ペルニラ」を発表。

1969年には、スチール製の回転脚と高い背もたれを組み合わせた「ジェットソン」を発表しています。
ジェットソンでは、従来の曲げ木とは異なる金属の構造が用いられていますが、身体の形に沿って座面と背もたれをつくる考え方は変わっていません。
材料や製造技術が変わっても、座る人の身体に対する関心は、彼の仕事の中心にあり続けました。
椅子から、住まい全体へ
マットソンは家具だけでなく、住宅や建築の設計にも取り組みました。
1948年から1949年にかけて、妻のカリンとともにアメリカを訪れたことが、その後の建築活動に大きな影響を与えます。
アメリカでは、フランク・ロイド・ライトやチャールズ&レイ・イームズなど、当時の建築やデザインを代表する人々と交流しました。
特に関心を持ったのが、大きなガラス面を使い、室内と屋外をつなぐ建築でした。
帰国後、マットソンはガラスを多用した建築に取り組むようになります。
1950年には、故郷ヴェルナモに大きなガラス面を持つショールームを建設しました。
また、1960年に自身のために建てたフローサクルの夏の家では、ガラスや光を通す素材を使い、室内と屋外の境界をできる限り小さくしています。
そこでは、窓から入る自然光や、庭とのつながりも、住まいの大切な要素として考えられていました。
椅子を研究していた頃のマットソンは、人の身体がどのような姿勢で心地よく過ごせるのかを考えていました。
そして建築では、その身体が置かれる環境にまで関心が広がっていったのです。
椅子の形を整えることと、住まいの環境を整えること。
規模は大きく違いますが、人が心地よく過ごすための場所をつくるという点では、つながった仕事のように思います。
数学者とともにつくった、スーパー楕円テーブル

1960年代、マットソンは再び家具デザインに力を注ぐようになります。
この時期に手がけた代表的な作品のひとつが、フリッツ・ハンセンの「スーパー楕円テーブル」です。
共同でデザインしたのは、デンマークの数学者であり詩人でもあったピート・ハイン。

ハインは、ストックホルムの都市計画で用いられた「スーパー楕円」という数学的な曲線を、家具の形へと応用しました。
長方形のように天板を広く使えながら、円形や楕円形のように滑らかな輪郭を持つ、独特な形です。
マットソンは、そのテーブルを実際の家具として成立させる仕事に加わりました。
二人が開発した特徴的な脚部は「スパンレッグ」と呼ばれます。

細い金属の脚を組み合わせた軽快な構造で、張力を利用して天板に取り付けることができます。
脚を取り外せる構造でありながら、天板をしっかりと支えることができる。
そこには、数学的な美しさだけでなく、実際に家具を製造し、使用するための工夫があります。
1968年からフリッツ・ハンセンによって製造されているスーパー楕円テーブルは、今も多くの家庭や公共空間で使われています。
身体に合う椅子を研究してきたマットソンと、数学的な形の可能性を追求してきたハイン。
異なる専門性を持つ二人の協働によって生まれた、興味深い家具です。
日本の暮らしを考えた、天童木工との仕事

ブルーノ・マットソンの仕事には、日本との深いつながりもあります。
1974年、マットソンは初めて日本を訪れました。
東京で開催された展覧会に合わせて来日した際、山形県の家具メーカー、天童木工の工場を訪れています。
天童木工は、木材を薄く重ねて曲げる成形合板の技術を得意とするメーカーです。
木材の性質を理解し、その特性を生かした美しい曲線の家具をつくる。
そうした技術には、マットソン自身の家具づくりと通じるものがありました。
さらに彼が関心を持ったのは、日本の住まい方でした。
当時、マットソンは畳のある旅館に泊まることを希望したと伝えられています。
日本では家の中で靴を脱ぎ、床に直接座る文化があります。
椅子の座面高や、家具と床の関係も、北欧の住まいとは異なります。
そこでマットソンは、日本人の暮らしに合う椅子を、天童木工とともに開発することになりました。
1976年に発表された「ブルーノ・マットソンシリーズ」です。

このシリーズには、成形合板によるしなやかなフレームと、キャンバス地を張った座面が採用されています。
また、特徴的なのが「床摺り」と呼ばれる、床に沿って伸びる脚部の構造です。
細い脚の先だけで床に接するのではなく、接地面を広く取ることで、畳などの床への負担にも配慮しています。
座面の高さや角度についても、日本での使い方を考えた設計がなされています。
単に海外の名作を日本で製造するのではなく、日本の住宅と生活文化に合わせた家具を新しくつくったのです。
マットソンは、スウェーデンの家具づくりの考え方を、日本の暮らしにそのまま当てはめようとはしませんでした。
実際にその土地を訪れ、人々の生活を知り、どのような家具がふさわしいのかを考えた。
この協働には、彼のデザインに対する姿勢がよく表れていると思います。
座り心地のよい椅子とは
私たちは椅子を選ぶとき、「座り心地がよいかどうか」を大切にします。
けれど、座り心地のよさとは、一体何でしょうか。
柔らかい椅子が好きな方もいれば、しっかりと身体を支えてくれる椅子を好む方もいます。
長い時間くつろぎたいときには、身体を後ろに預けられる椅子が心地よく感じられます。
一方で、食事や仕事をするときには、身体を起こして動きやすい椅子の方が使いやすいこともあります。
人の身体は、座っている間も絶えず小さな動きを繰り返しています。
だからこそ、座り心地のよさを、クッションの柔らかさや背もたれの角度だけで判断することは難しいのだと思います。
マットソンは、そうした座るという行為を、身体の形や姿勢から研究していました。
そして、自分が考える理想の形を、木材や布、金属といった材料を使って実現しようとしたのです。
彼の椅子を見ていると、よい家具をつくるためには、材料や技術だけでなく、それを使う人をよく知る必要があることに気づかされます。
暮らしを知ることから、家具を考える

ブルーノ・マットソンは1988年、80歳で亡くなりました。
その生涯を振り返ると、椅子の座面から住宅の設計まで、実に幅広い仕事を手がけていたことが分かります。
雪の上に座って身体の形を調べたこと。
木を曲げる技術によって、軽く、身体に沿う椅子をつくったこと。
大きなガラス面を使い、自然とつながる住まいを考えたこと。
そして日本を訪れ、日本人の暮らしに合わせた家具を開発したこと。
それぞれは異なる仕事のように見えますが、共通しているのは、そこで過ごす人のことを考えている点です。
家具は、美しい形を持っているだけでは、暮らしの中で十分に役割を果たせません。
どのような場所で、誰が、何をするときに使うのか。
そのことを考えて初めて、家具の形や大きさ、素材の意味が見えてくるのだと思います。
今回のフリッツ・ハンセンカフェでは、マットソンとピート・ハインがデザインしたスーパー楕円テーブルをご紹介します。
一見すると、独特な天板の形に目が留まるテーブルです。
けれど、実際に椅子を置き、腰掛けてみると、テーブルの縁までの距離や、足元の空間、隣に座る人との関係にも気づきます。
美しい家具を眺めるだけでなく、その家具を使って過ごしてみること。
ブルーノ・マットソンの仕事を知ると、そんな当たり前のことが、家具を選ぶうえでとても大切なのだと感じます。