ハンス J. ウェグナー|木の椅子と、工房の人たち

美しい椅子は、使う人とつくる人から生まれる。
椅子に腰掛けるとき、私たちは無意識のうちに、さまざまな動作をしています。
背もたれに手をかけて椅子を引く。座面に腰を下ろし、背中を預ける。食事をするときには身体を前に傾け、会話をするときには少し姿勢を変える。
毎日繰り返している、ごく当たり前の行為です。
けれど、椅子の形は、そうした小さな動きのひとつひとつに関わっています。
背もたれの角度や、座面の高さ。手を置く場所や、木材が身体に触れる部分の丸み。
美しい椅子をつくることと、人が心地よく使える椅子をつくること。その両方を生涯にわたって追求した家具デザイナーがいました。
デンマークのハンス J. ウェグナーです。
「椅子の巨匠」として知られるウェグナーは、生涯で約500脚もの椅子をデザインしました。

代表作のYチェアは、1950年に製造が始まってから、現在までつくり続けられています。
なぜ、70年以上も前に生まれた椅子が、今の暮らしにも選ばれ続けているのでしょうか。
その理由を考えるためには、椅子の美しい姿だけでなく、ウェグナーがどのような仕事をしていたのかを知る必要がありそうです。
木工職人として始まった、家具づくりの人生

ハンス J. ウェグナーは1914年、デンマーク南部の町トゥナーに生まれました。
父親は靴職人で、ウェグナー自身も幼い頃から手を動かしてものをつくることに親しんでいたといいます。
14歳になる頃には地元の家具工房で見習いとして働き始め、木工の技術を身につけていきました。
その後、兵役を経てコペンハーゲンへ移り、工芸学校で家具デザインを学びます。
つまりウェグナーは、図面を描くことから家具の仕事を始めた人物ではありません。
まず木材を加工し、椅子を実際につくることから始めた家具職人でした。
木は、金属やプラスチックとは性質が異なります。
木目には方向があり、力が加わる向きによって強さも変わります。湿度によって膨張したり収縮したりするため、部材を組み合わせる方法にも工夫が必要です。
また、無垢材から曲線を削り出すためには、材料の選び方や木取りにも気を配らなければなりません。
ウェグナーは、そうした木材の性質や加工技術を理解したうえで、新しい椅子の形を考えていました。
彼の椅子に見られる美しい曲線は、単に絵として考えられたものではありません。
木材をどのように加工し、組み合わせれば、その形を実現できるのか。
家具職人として培った知識が、デザインの土台になっているのです。
建築家アルネ・ヤコブセンとの仕事
若いウェグナーは、建築家アルネ・ヤコブセンのもとでも仕事をしています。

その代表的な仕事が、1942年に完成したオーフス市庁舎です。
建築設計を手がけたのはアルネ・ヤコブセンとエリック・ムラー。ウェグナーは、その建物のために使われる家具の設計に加わりました。
市庁舎では、執務室や案内窓口に使う家具にはブナ材を、来客を迎える部屋にはマホガニー材を使うなど、部屋の用途に応じて材料が選ばれていました。
同じ建物の中でも、使う人や目的によって、家具に求められる役割は異なります。

ウェグナーは、こうした建築全体の計画の中で家具を考える経験をしました。
また、この時代には、同世代の家具デザイナーであるボーエ・モーエンセンとも交流を深めています。
後にそれぞれデンマークを代表するデザイナーとなる二人ですが、若い頃にはともに家具について学び、展覧会で作品を発表していました。

一人の天才が、誰とも関わらず名作を生み出したわけではありません。
ウェグナーの仕事は、建築家や家具職人、同じ時代のデザイナーたちとの交流の中で、少しずつ発展していったのです。
中国の椅子に見つけた、新しい可能性
ウェグナーのデザインを語るうえで欠かせないのが、中国の伝統的な椅子から受けた影響です。
1940年代、ウェグナーは中国の古い椅子に関心を持ち、その背もたれやアームの構造を研究していました。
特に目を向けていたのが、背もたれから左右の肘掛けへと続く、滑らかな曲線です。
中国の伝統的な椅子には、木材の形を生かしながら、背もたれとアームを美しくつないだものがあります。
ウェグナーは、それらを単に模倣するのではなく、デンマークの木工技術や現代の生活に合わせて、新しい家具へと発展させました。
1944年には、フリッツ・ハンセンのために「チャイナチェア」をデザインしています。

そして1949年、こうした研究から生まれた代表的な作品が、CH24、通称「Yチェア」です。
Yチェアの背もたれから左右のアームへと続く曲線には、中国椅子の影響が感じられます。
一方で、座面にはペーパーコードを用い、脚部も軽快で簡潔な形にまとめられています。
歴史的な家具の構造を学びながら、新しい時代の家具へとつくり変えていく。
ウェグナーにとって、伝統的な家具はそのまま受け継ぐだけのものではなく、新しい発想を生み出すための手がかりでもあったのでしょう。
3週間で生まれた、四つの椅子
1949年、ウェグナーはカール・ハンセン&サンとの協働を始めます。
当時、会社を率いていたホルガー・ハンセンは、ウェグナーの才能に注目し、自社の工場へ招きました。
ウェグナーはそこで約3週間を過ごし、職人たちとともに4脚の新しい椅子を形にします。
CH22、CH23、CH24、そしてCH25。

現在では、ウェグナーがカール・ハンセン&サンのために手がけた「最初の名作群」として知られています。
面白いのは、この4脚が同じ時期に生まれたにもかかわらず、まったく異なる性格を持っていることです。
CH23は、木製の背もたれとペーパーコードの座面を組み合わせた、アームのないダイニングチェア。
CH24は、背もたれとアームがつながる曲線が特徴の椅子。
CH22とCH25は、身体をゆったりと預けて過ごすための、低い座面を持つラウンジチェアです。
同じ木材を使っていても、座る姿勢や使われる場面が違えば、椅子に必要な形も変わります。
その一つひとつに適した構造を考えた結果として、異なる4脚が生まれたのです。
これらの椅子は1950年から製造され、現在もカール・ハンセン&サンのコレクションに残っています。
Yチェアは、なぜ使いやすいのか

ウェグナーの椅子の中で、最も広く知られているのがCH24、Yチェアでしょう。
背もたれのY字型の部材が特徴的で、日本でも長く親しまれてきた椅子です。
しかし、その魅力は特徴的な形だけではありません。
背もたれの上部は、左右のアームへと滑らかにつながっています。
この部分は、背中を支えるだけでなく、腕を自然に預けることができる形になっています。
また、アームが座面の周囲を大きく囲み込まないため、身体を横へ向けたり、少し姿勢を変えたりすることもできます。
座面に使われているのは、紙を撚ってつくるペーパーコードです。
しっかりと張られたコードは、座ったときに身体の重さを受け止めながら、適度なしなやかさも持っています。
木の硬さと、編み込まれた座面の柔らかさ。
その組み合わせによって、厚いクッションを使わずに座り心地をつくり出しています。
ペーパーコードの座面は、現在も職人によって一脚ずつ手作業で編まれています。
一見すると簡潔な椅子ですが、その製造には木材の曲げ加工や組み立て、座面の編み込みなど、多くの工程が必要です。
デザインが美しいだけでは、70年以上もつくり続けることは難しいでしょう。
製造するための技術が受け継がれ、品質が維持されてきたことも、Yチェアが今日まで残っている理由のひとつだと思います。
身体の形が、美しい造形になる
ウェグナーの椅子は、見た目の美しさがよく注目されます。
けれど、その形を詳しく見ていくと、人の身体を支えるための工夫が見えてきます。
1947年にデザインされた「ピーコックチェア」は、その分かりやすい例です。

孔雀が羽を広げたような、大きな背もたれを持つ椅子。
背もたれには細い木製の部材が何本も並び、そこから大きく弧を描くフレームへとつながっています。
一見すると、とても装飾的な椅子に見えます。
しかし、背もたれの部材をよく見ると、肩甲骨が触れるあたりだけが平たく加工されています。

背中を受け止めるために必要な形を考えた結果、あの独特な姿が生まれているのです。
また、1951年にデザインされた「ベアチェア」では、厚いクッションと大きなアームを使い、身体をゆったりと預けられる椅子をつくりました。

アームの先端は、熊の手のような丸みのある形になっています。
木製のフレームが見える椅子もあれば、柔らかなクッションに身体を包み込まれる椅子もある。
ウェグナーが生み出した椅子の形は、決して一種類ではありません。
その背景にあるのは、どのような姿勢で、どのように過ごすための椅子なのかという問いです。
形の美しさと、身体を支える機能。
ウェグナーの作品では、その二つが別々のものではなく、ひとつにつながっているように感じます。
ザ・チェアに見る、木工の技術

ウェグナーの代表作には、1949年にデザインされた「ラウンドチェア」があります。
現在では「ザ・チェア」という名前で広く知られる椅子です。
1960年、アメリカの大統領選挙でジョン・F・ケネディとリチャード・ニクソンがテレビ討論を行った際にも、この椅子が使用されました。
その出来事によって、ウェグナーの名前はさらに世界へと広まっていきます。
しかし、ザ・チェアの本当の魅力を知るためには、背もたれとアームがつながる部分を見てみたいと思います。

丸く滑らかな曲線を描くこの部分は、一見すると、一つの木材から削り出したようにも見えます。
実際には複数の無垢材を精密に加工し、接合することでつくられています。
木材の接合部分は、椅子の強度を確保するために重要なところです。
けれど、接合を丈夫にするだけでは、美しい椅子にはなりません。
どの方向に木目を通すのか。部材の境目をどこに設けるのか。
その細かな判断が、完成した椅子の姿を大きく左右します。
現在ザ・チェアを製造するPPモブラーでは、こうした複雑な加工を、熟練した職人たちが受け継いでいます。

木の椅子には、材料そのものの美しさがあります。
そしてもうひとつ、その材料をどのように使うかを考え抜いた、人の仕事の美しさもあるのです。
椅子をつくるのは、デザイナーだけではない
ウェグナーの家具を調べていると、さまざまな工房の名前が出てきます。
カール・ハンセン&サン、ヨハネス・ハンセン、PPモブラー、APストーレン。

現在では複数のメーカーによって製造されていますが、作品ごとに異なる製造の歴史があります。
特にウェグナーと深い関係にあったのが、家具職人ヨハネス・ハンセンです。
二人は家具職人組合の展覧会などで協働し、工芸品としての完成度を追求した椅子を数多く生み出しました。
また、後年にはPPモブラーとの関係も深まっていきます。
PPモブラーには、ウェグナーと職人たちとの興味深いやり取りが伝えられています。
あるとき、ベアチェアの木製フレームを確認していたウェグナーは、クッションを張ると隠れてしまう部分まで、それほど丁寧に仕上げる必要があるのかと問いかけました。
それに対して、工房の創業者アイナー・ピーダセンは、職人たちが自分の仕事に誇りを持てることも大切なのだと答えたそうです。
この話には、少し意外な面白さがあります。
細部まで考え抜いた家具をつくることで知られるウェグナーに対して、今度は職人の側が、さらに高い品質を求めているのです。
優れた家具は、デザイナーが一人で完成させるものではありません。
その形を実現するために技術を磨く職人がいて、材料を選び、製造方法を工夫する人たちがいる。
ウェグナーの椅子が今もつくり続けられているのは、そうした人々の仕事が受け継がれてきたからでもあります。
木材だけではない、ウェグナーの家具
ウェグナーというと、無垢材を使った椅子を思い浮かべる方が多いと思います。
しかし、彼はスチールや革、ロープ、布といったさまざまな素材も使い、数多くの家具をデザインしました。

椅子だけでなく、テーブルやソファ、収納家具も手がけています。
たとえば1962年にデザインしたCH290シリーズでは、木製のフレームとクッションを組み合わせた、ラウンジチェアやソファを展開しました。
そこでは、クッションを支える木の構造が、外からはっきりと見えるようになっています。
また、1955年にデザインしたCH88では、木製の背もたれにスチールの脚を組み合わせています。

木材を主な材料として使いながらも、それ以外の素材の可能性も積極的に取り入れていたのです。
ただ、材料が変わっても、共通する考え方があります。
どの素材を、どこに使うのが適しているのか。
その構造が、使う人にとって心地よいものになっているのか。
ウェグナーは、そうした問いを繰り返しながら家具をつくっていたのだと思います。
一脚の椅子を、暮らしの中で使うということ
ウェグナーの椅子には、現在では数十万円になるものもあります。
名作家具としての歴史や、職人の技術による製造には、それだけの価値があります。
しかし、どんなに美しい椅子でも、実際の暮らしの中では、毎日使うための道具です。
朝、ダイニングで椅子を引く。
食事を終えても、そのまま腰掛けて話をする。
誰も座っていないときには、テーブルのそばに静かに置かれている。
そんな何気ない時間を、何年も、何十年も繰り返していきます。
家具を選ぶときには、座り心地や大きさ、価格など、さまざまなことを考えます。
けれど、長く使う家具であれば、その椅子が部屋に置かれている姿を好きでいられるかどうかも、大切なことだと思います。
無垢材の木目や、背もたれの曲線、脚のつながり方。
使うたびに手で触れ、日々目にする部分が美しくつくられていることは、決して小さな価値ではありません。
もちろん、どの椅子が身体に合うかは人によって異なります。
Yチェアが心地よい方もいれば、アームのないCH23の方が使いやすい方もいるでしょう。
ラウンジチェアでも、身体を深く預けたいのか、少し姿勢を起こして過ごしたいのかによって、適した椅子は変わります。
大切なのは、名作と呼ばれているから選ぶのではなく、その椅子が自分の暮らしに合っているかを考えることです。
そして、実際に使う中で、素材や構造の良さを少しずつ知っていく。
家具との付き合い方には、そんな楽しみもあるのではないでしょうか。
木の椅子が、暮らしに残してくれるもの
ウェグナーは2007年、92歳で亡くなりました。
その生涯で生み出した椅子の数は約500脚。
中には製造が終了したものもありますが、現在も多くの作品が職人たちの手によってつくられています。
100年近く前に始めた木工の修業から、Yチェアやザ・チェアの誕生、そして多くの工房との協働まで。
彼の仕事をたどると、優れた家具は、美しい図面だけでは生まれないことが分かります。
木材の性質を知り、身体の動きを考え、実際に製造できる構造を探る。
そして完成した家具を、誰かが日々の暮らしの中で使っていく。
家具をつくる人と、それを使う人。
その両方があって初めて、椅子の価値が生きてくるのだと思います。
今回のフリッツ・ハンセンカフェには、ウェグナーの家具そのものは展示されません。
けれど、若い頃にともに仕事をしたアルネ・ヤコブセンや、後に彼のもとで学んだポール・ケアホルムの家具をご紹介します。
デンマークの家具デザインを形づくった人たちの仕事には、こうしたつながりがあります。
また、塩田家具ではウェグナーのYチェアをはじめ、さまざまな椅子をご覧いただけます。
ぜひ実際に腰掛け、背もたれに身体を預けてみてください。
そして椅子から立ち上がったら、木と木がつながる部分や、裏側の構造にも少し目を向けてみてください。
いつもは何気なく使っている椅子にも、たくさんの人の仕事が込められていることに気づくかもしれません。