アルネ・ヤコブセン|椅子の向こうに、建築と人がいる

一脚の椅子から、暮らしの環境を考える。
アルネ・ヤコブセンのデザインした椅子を並べてみると、その形の違いに驚かされます。

薄い合板を曲げた、軽快なセブンチェア。身体を大きく包み込むエッグチェア。左右に翼を広げたような、曲線の美しいスワンチェア。

いずれも20世紀のデンマークを代表する椅子ですが、形も構造も、座ったときの感覚もずいぶん異なります。
同じデザイナーが、なぜこれほど違う椅子をつくったのでしょうか。
その理由を考えるうえで、知っておきたいことがあります。
ヤコブセンは、もともと建築家だったということです。
住宅や学校、市庁舎、ホテルを設計し、その中で使う家具や照明、さらには食器やドアハンドルまで手がけていました。

彼にとって椅子は、単独で存在するものではなく、建築やインテリアの一部でもありました。
その部屋で誰が過ごすのか。何をするときに使うのか。周囲にはどんな家具があり、窓からはどんな光が入るのか。
ヤコブセンの仕事をたどると、私たちが普段一つずつ選んでいる家具や照明が、実は互いに深く関わっていることに気づかされます。
画家になりたかった、若い建築家
アルネ・ヤコブセンは1902年、デンマークのコペンハーゲンに生まれました。
若い頃に目指していたのは、建築家ではなく画家でした。
しかし、父親の反対もあり、1924年にデンマーク王立芸術アカデミーの建築学校へ進学します。
そこで建築を学び、1927年に卒業。のちにデンマークを代表する建築家へと成長していきます。
ただ、建築家になったからといって、絵を描くことへの関心を失ったわけではありません。
ヤコブセンは生涯にわたって水彩画を描き、写真を撮り、身の回りの自然を熱心に観察し続けました。
特に好きだったのが植物です。
自宅の庭では300種類以上の植物を育て、その葉や花の形、色彩を記録していました。
植物のスケッチは、のちにテキスタイルの柄にもなっています。
こうした一面を知ると、ヤコブセンの家具に見られる曲線にも、少し違った印象を受けます。
セブンチェアの背もたれや、スワンチェアの緩やかな輪郭。
もちろん、それらは身体を支えるための機能や製造技術から生まれた形です。
けれど、その形を考えた人が、自然の中にある曲線や色彩を日々観察していたことも、忘れたくないと思います。
1929年、未来の暮らしを想像する
ヤコブセンが建築家として大きな注目を集めるきっかけとなったのが、1929年に発表した「未来の家」です。
共同で設計したのは、建築家フレミング・ラッセン。
当時のデンマークでは、まだ伝統的な住宅の形が広く受け入れられていました。
それに対し、二人が提案した住宅は、白い外壁と平らな屋根を持つ、驚くほど近代的なものでした。
建物の平面は渦巻き状に計画され、車やボートだけでなく、ヘリコプターのための設備まで構想されていました。
玄関には靴の汚れを吸い取る仕組みがあり、食卓では料理を運ぶための回転機構が考えられています。
現在でも少し未来的に感じられるほど、さまざまなアイデアが盛り込まれていました。
この住宅は展示のためにつくられたもので、実際に長く住み続ける住宅ではありませんでした。
しかし、ここにはヤコブセンの仕事の原点がよく表れています。
それまでの住宅の形を前提とするのではなく、新しい技術や暮らし方によって、住宅はどのように変わるのかを考える。
建築とは、ただ建物の外観を整える仕事ではありません。
人が毎日行うことを見つめ、その環境を考える仕事でもある。
27歳のヤコブセンは、すでにそうした可能性に目を向けていたのです。
海辺の街に、建築と暮らしをつくる
1930年代、ヤコブセンはコペンハーゲン北部のベルビュー地区で、いくつもの建築を手がけます。

海水浴場の施設、集合住宅「ベラヴィスタ」、劇場、ガソリンスタンド。

それぞれ用途の異なる建物ですが、白い外壁や簡潔な形を基調とした、統一感のある景観がつくられました。
1936年に完成したベルビュー劇場は、その代表的な建築です。
夏の劇場として計画された建物には、開閉式の屋根が設けられ、晴れた日には外の光や空気を取り入れることができました。
室内には、海辺の景色を思わせる青と白のストライプが使われています。

劇場のための椅子や照明も、ヤコブセンがデザインしました。
建物を美しく見せるだけなら、ここまで考える必要はなかったかもしれません。
けれど、海辺で休暇を楽しむ人々が、どのような場所で過ごし、どんな景色を見るのか。
そうした体験まで含めて、彼は建築をつくろうとしていました。
後にSASロイヤルホテルで見られる、建築から家具、細部までを一体として考える仕事は、すでにこの頃から始まっていたのです。
市庁舎の家具を、一緒につくった若い職人
1942年、ヤコブセンは建築家エリック・ムラーとともに、オーフス市庁舎を完成させます。
大きな窓を持つ簡潔な建築ですが、内部に入ると、木材や真鍮を使った、豊かな表情の空間が広がっています。
ヤコブセンたちは、建物の形だけでなく、家具や照明、エレベーターのボタン、館内表示の書体まで設計しました。
また、部屋の使われ方によって、家具の材料も使い分けています。
執務室や案内窓口にはブナ材、応接などの格式ある部屋にはマホガニー材。
誰がどのような目的で使う部屋なのかによって、ふさわしい素材や家具を考えていたことが分かります。
そして、この仕事には若い家具デザイナーも参加していました。
ハンス J. ウェグナーです。
のちにYチェアやザ・チェアを生み出す人物ですが、当時はまだ若い家具職人でした。
ウェグナーはヤコブセンたちのもとで、市庁舎に使われる家具の設計に携わります。

今では二人ともデンマーク家具の巨匠として知られていますが、当時は同じ建築の完成に向けて仕事をしていたのです。
このような人と人とのつながりも、デンマークのデザイン史を知る面白さのひとつだと思います。
植物の絵と、妻ヨンナとの仕事
同じ1940年代、ヤコブセンはテキスタイルのデザインにも取り組んでいました。
その仕事で重要な役割を果たしたのが、妻のヨンナ・ヤコブセンです。
ヨンナは布に模様を染める捺染の技術を学んだ人物でした。
ヤコブセンが描いた植物のスケッチを、実際の布製品として仕上げる仕事を支えています。
二人が結婚したのは1943年。
しかし、その年には、デンマークを占領していたドイツ軍によるユダヤ系住民への迫害が強まり、ユダヤ系の出自を持つヤコブセンも、スウェーデンへ逃れることになりました。
亡命先でも、二人はものづくりを続けます。
スウェーデンの百貨店ノルディスカ・コンパニーとの協働により、ヤコブセンが描いた植物の模様はテキスタイルとして製品化されました。
建築家としての仕事が困難になった時期にも、自然を観察し、絵を描き、布のデザインを考える仕事は続いていたのです。
現在、ヤコブセンといえば、白や黒、金属のような無機質な素材を使った、洗練されたデザインを思い浮かべる方も多いでしょう。
けれど、彼のテキスタイルには、花や葉の形、豊かな色彩が表れています。
この一面を知ると、ヤコブセンのデザインに対する理解も、少し広がるように思います。
一枚の合板から、椅子をつくる

戦後、ヤコブセンは家具デザイナーとしても大きな転機を迎えます。
1952年に発表された「アントチェア」です。
アントチェアは、背もたれと座面が一枚の成形合板でつくられた椅子です。
薄い木材を重ねて接着し、熱と圧力を加えて立体的な形に成形する。
その技術によって、軽く、丈夫で、材料の使用を抑えた椅子をつくることができました。
当時、ヤコブセンの事務所には、チャールズ&レイ・イームズがデザインした成形合板の椅子が置かれていました。
木材を新しい方法で加工し、軽く、量産しやすい椅子をつくるという試みは、国際的な家具デザインの重要なテーマにもなっていました。
ヤコブセンは、フリッツ・ハンセンの技術者たちとともに、座面と背もたれを一枚のシェルでつくることに挑戦します。
特に難しかったのが、座面から背もたれへと大きく曲がる部分でした。
アントチェアの背もたれの下が細くくびれているのは、あの曲線を成形するための技術的な理由もあります。
蟻のように見える独特な輪郭は、単に面白い形を考えた結果ではありません。
材料の性質や製造方法を研究する中から、生まれた形でもあるのです。
また、アントチェアは最初から製品化が約束されていたわけではありませんでした。
フリッツ・ハンセンを後押ししたのは、ヤコブセンが内装を担当した製薬会社ノボの社員食堂からの注文でした。
現在ではデザイン史に残る名作ですが、その始まりは、多くの人が毎日使う食堂のための椅子でした。
そう考えると、アントチェアが少し身近に感じられます。
3本脚のアントから、4本脚のセブンへ

アントチェアは、当初3本脚でデザインされました。
ヤコブセンは、必要な機能を満たすのであれば、材料や部品はできるだけ少ない方がよいと考えていました。
3本の脚で身体を支えられるのであれば、4本にする必要はない。
そんな合理的な考え方が、アントチェアの姿にも表れています。
しかし、家具を実際に使う人の立場から考えると、椅子の安定感や座面の広さなど、別の要望も生まれます。
1955年、ヤコブセンはアントチェアの技術をさらに発展させた「セブンチェア」を発表しました。
セブンチェアでは、シェルが大きくなり、標準仕様として4本脚が採用されました。
さらに、アーム付きや回転脚付きなど、さまざまな用途に合わせたモデルも生まれます。
一般家庭のダイニングだけでなく、オフィス、学校、会議室などでも使われるようになりました。
セブンチェアの特徴は、軽さとしなやかさ、そして背もたれから座面までが滑らかにつながる美しい形です。
けれど、その価値は椅子単体の造形だけではありません。
必要な場所に運び、テーブルから引き、腰掛け、立ち上がる。
毎日繰り返される小さな動作に、無理なく応えてくれることも、この椅子の魅力だと思います。
ヤコブセンは新しい形をつくることだけでなく、使う人の要望や、製造技術の進歩に合わせて、家具を発展させ続けていたのです。
一脚の椅子が、建築の中で役割を持つ
ヤコブセンは、アントチェアやセブンチェア以外にも、さまざまな椅子をデザインしています。
そのひとつが、1950年代初頭に生まれた「ドットスツール」です。

丸い座面と細い脚だけで構成された、小さな椅子。
1950年代にヤコブセンが設計したルードブレ市庁舎では、興味深い使い方がされていました。

待合スペースの壁に丸い背もたれを固定し、その前にドットスツールを並べたのです。
座っているときには背もたれのある椅子のように使えますが、スツール本体は自由に持ち運べます。
椅子の背もたれと座面を一体にするのではなく、建築の壁と組み合わせることで役割を持たせる。
少し変わった方法ですが、そこにはヤコブセンの考え方がよく表れています。
彼は、一つの家具を単独で完成したものとして考えるだけではありませんでした。
その家具が、どんな空間に置かれ、どのように使われるのか。
家具と建築を組み合わせることで、新しい使い方を考えていたのです。
子どものために、16の中庭をつくる
1957年、ヤコブセンはデンマークのムンケゴー小学校を完成させます。
約850人の児童が通う、大きな学校です。
しかし、その建築は決して大きな箱のようなものではありませんでした。
校舎は低層の建物を組み合わせて構成され、各教室には自然光が入り、屋外へも出やすい計画になっています。
さらに特徴的なのが、学校全体に設けられた16の中庭です。
それぞれに植物が植えられ、子どもたちは教室にいながら自然を感じることができました。
ヤコブセン自身が植物を選び、庭の計画にも取り組んでいます。
室内では、子どもの身体に合わせた家具や、教室のための照明もデザインしました。
学校という建築に求められるのは、たくさんの子どもを収容できることだけではありません。
明るさや空気、落ち着いて学べる環境、身体を動かせる場所。
そうした条件が、子どもたちの日々の過ごしやすさに関わります。
ヤコブセンは、建物の形だけでなく、その中で長い時間を過ごす人たちの環境まで考えていました。
家具や照明、庭の植物まで、すべてがその仕事につながっています。
SASロイヤルホテルという、もうひとつの世界

ヤコブセンの仕事の中でも、特に有名なのが1960年に開業した「SASロイヤルホテル」です。
コペンハーゲン中央駅の近くに建てられたこのホテルは、当時のコペンハーゲンで初めての高層ビルでした。
航空会社SASのホテルであると同時に、空港へ向かう旅行者のためのターミナル機能も備えていました。
建物の外観は、ガラスと金属による、非常に直線的なデザインです。
細かな装飾をほとんど持たない外観は、当時の新しい国際的な建築の姿を象徴していました。
しかし、その内部へ入ると、建物の外観とはまた違った世界が広がっていました。
柔らかなファブリック。色彩豊かなカーペット。自然素材の質感。そして、彫刻のような曲線を持つ家具。
ヤコブセンはホテルの建築だけでなく、家具、照明、カトラリー、ドアハンドルなど、内部のさまざまなものを自らデザインしています。
建築とインテリアを別々に考えるのではなく、すべてをひとつの環境として整える。
こうした設計思想は、「トータルデザイン」と呼ばれます。
SASロイヤルホテルは、ヤコブセンの仕事を理解するうえで、最も分かりやすい建築のひとつです。
エッグとスワン、二つの異なる居場所

SASロイヤルホテルのために生まれたのが、1958年発表のエッグチェアとスワンチェアです。
どちらも大きな曲線を持つラウンジチェアですが、その形には明確な違いがあります。
エッグチェアは、高い背もたれが頭の近くまで伸び、身体の左右を大きく包み込む形をしています。
広いロビーのように多くの人が行き交う空間でも、椅子に腰掛けることで、周囲から少し切り離されたような場所をつくることができます。
一方、スワンチェアは背もたれが低く、アームが左右へと広がっています。
エッグのように身体を囲い込むのではなく、周囲の人と視線を交わし、会話をしながら過ごしやすい形です。
同じ建物のためにデザインされた椅子なのに、座る人と周囲の空間との関係はずいぶん異なります。
ヤコブセンは、ホテルのロビーにただ美しい家具を並べたかったわけではなかったのでしょう。
人が一人で過ごす場所と、誰かと向き合う場所。
それぞれにふさわしい家具の形を考えていたのだと思います。

この違いは、現在の住宅でも参考になります。
リビングに置く椅子を考えるとき、ソファとは別に一人でくつろぐ場所をつくりたいのか、それとも家族や友人と向き合う場所を増やしたいのか。
その目的によって、選びたい椅子は変わってきます。
エッグチェアとスワンチェアは、同じデザイナーによる二脚でありながら、椅子と空間の関係について、異なる答えを示しているように思います。
彫刻のように、椅子の形を探る

エッグチェアやスワンチェアには、アントチェアやセブンチェアとは異なる製造技術が使われています。
それまでの成形合板では難しかった、立体的で自由な曲面。
その形を実現するために、フリッツ・ハンセンは新しい発泡素材の成形技術を導入しました。
硬質の発泡素材でつくられたシェルにクッション材を重ね、布や革を張ることで、滑らかな曲面を持つ椅子が完成します。
そして、面白いのが、その形を決めるまでの過程です。
ヤコブセンは粘土や石膏を使い、彫刻家のように椅子の形を考えていました。
当時、彼の事務所で模型制作に携わっていたサンドール・ペリエシは、エッグチェアの石膏模型を車に積み、ヤコブセンとともに別荘へ運んだことを回想しています。
そこで模型に石膏を足したり、削ったりしながら、曲面を調整していたそうです。
現在のエッグチェアを見ていると、その美しい曲線は最初から完成していたように感じられます。
しかし実際には、材料を盛り、削り、眺め、また修正するという、地道な試行錯誤がありました。
1950年代の新しい製造技術と、彫刻のような手仕事。
一見すると対照的な二つが組み合わさることで、エッグチェアの形は生まれたのです。
照明やドアハンドルまで考えた理由
SASロイヤルホテルのために、ヤコブセンが手がけたのは椅子だけではありません。
1957年にデザインされた「AJランプ」も、その代表的な作品です。
直線的なアームと、斜めに伸びる特徴的なシェードを持つ照明。
柔らかな曲線のエッグチェアやスワンチェアとは対照的に、非常に明快な直線と角度によって構成されています。
また、ホテルではドアハンドルやカトラリーなど、日常的に手で触れるものも設計されました。
ドアハンドルは、建築の中ではごく小さな部品です。
けれど、ホテルの客室に入るときには、誰もが必ず触れるものでもあります。
食事をするときには、椅子に腰掛け、テーブルを使い、カトラリーを手に取ります。
そうした一つひとつの行為が積み重なって、ホテルで過ごす時間が生まれていきます。
ヤコブセンは、建築の大きな形から、手に触れる小さな道具まで、その関係を考えていたのでしょう。
私たちが住まいの家具や照明を選ぶときにも、こうした視点は参考になると思います。
家具がそれぞれ美しいことはもちろん大切ですが、それらをひとつの部屋に置いたとき、どのような空間になるのか。
そして、その中でどのように過ごすのか。
ヤコブセンの仕事には、暮らしを全体として考えるためのヒントがあります。
オックスフォードで考えた、学ぶための環境
1964年、ヤコブセンはイギリスのオックスフォード大学に「セント・キャサリンズ・カレッジ」を完成させます。
歴史ある大学の中で、近代的な建築をどのようにつくるのか。
当時、海外のモダニズム建築家を起用することは、大きな話題となりました。
ヤコブセンは伝統ある大学の空間構成を尊重しながら、現代的な建物や庭園を設計しました。
食堂では、学生や教員が一緒に食事をするという、大学の伝統的な習慣も大切にされています。
その中でデザインされたのが、後に「オックスフォードチェア」へと発展する椅子です。
高い背もたれを持つ椅子は、食堂で教員たちが座る場所に使われ、学生用のベンチとは異なる役割を持っていました。
また、食堂のためにデザインされた「AJオックスフォード」は、後にルイスポールセンから製品化されています。
椅子や照明は、空間に置かれればよいというわけではありません。
誰がそこに座り、どんな時間を過ごすのかによって、必要な形や役割が変わります。
学校や大学という建築を通しても、ヤコブセンはそのことを考え続けていました。
食卓のポットにも、建築家の仕事がある
ヤコブセンの晩年の仕事には、家具や建築とは少し違った魅力もあります。
1967年に発表された、ステルトンの「シリンダライン」です。
コーヒーポットやティーポット、アイスペールなどからなる、ステンレス製のテーブルウェアシリーズ。
装飾をほとんど持たない円筒形のデザインは、現在でも非常に現代的に見えます。
当初は規格化されたスチール管を利用して製造する構想でしたが、実際に美しい製品として成立させるまでには、さまざまな技術的な課題がありました。
製造を担当する人々と何度も試作を重ねながら、少しずつ形が整えられていきます。
ヤコブセンは、食卓のナプキンにさっとスケッチを描き、そこから具体的な製品の形を考えることもあったそうです。
ホテルの大きな建築と、手のひらで持つコーヒーポット。
大きさも用途もまったく違います。
けれど、材料の性質を理解し、製造方法を考え、使う人にふさわしい形を探るという点では、同じ仕事の延長にあるように感じます。
ヤコブセンは1971年、69歳で亡くなりました。
その後も彼が残した家具や照明、生活用品は、さまざまなメーカーによって製造され続けています。
次の世代へつながった、ヤコブセンの仕事場
ヤコブセンの仕事を振り返ると、もうひとつ興味深いことがあります。
それは、彼の事務所から、後にデンマークのデザインを代表する人物たちが育っていったことです。
若い頃にオーフス市庁舎の仕事に携わったハンス J. ウェグナー。
そして1950年から1952年にかけて、ヤコブセンの事務所で働いていたヴァーナー・パントン。
パントンは、アントチェアの開発が進められていた時代に、家具の設計に取り組んでいました。
後に、鮮やかな色彩やプラスチックを使った大胆なデザインで知られる人物です。
木製の椅子を追求したウェグナーと、色彩豊かな未来的家具を生み出したパントン。
そして、建築と家具を一体として考えたヤコブセン。
三人の作品を並べると、同じデンマークのデザイナーとは思えないほど、違った特徴があります。
しかし、それぞれの仕事をたどると、同じ時代の建築や家具づくりの中で、人と人とがつながっていたことが分かります。
優れたデザインは、一人の才能だけで生まれるものではありません。
家具メーカーの技術者や、工房で働く職人、建築の設計に参加する人々。
多くの人との仕事の積み重ねが、新しい家具や建築へとつながっていくのです。
日々の暮らしを、ひとつの環境として考える
私たちは家具を選ぶとき、一つひとつの製品に目を向けます。
ダイニングチェアなら座り心地や素材。ソファなら大きさやクッションの柔らかさ。照明なら明るさやデザイン。
もちろん、それぞれに大切なことがあります。
けれど、実際の暮らしでは、家具や照明を単独で使うことはあまりありません。
朝、窓から光が入り、ダイニングチェアを引いて朝食をとる。
夕方には照明をつけ、ソファに腰掛けて本を読む。
ときには椅子の向きを変えて、家族と話をしたり、庭の植物を眺めたりする。
毎日繰り返される、そんな小さな行為と時間の積み重ねが、私たちの暮らしをつくっています。
ヤコブセンは、建築家として、そうした人の生活を受け止める環境を考えていました。
建物の形だけでなく、窓の位置や光の入り方、家具の種類、照明の形、庭の植物まで。
すべてを同じデザインにそろえることが目的だったわけではないでしょう。
それぞれが、その場所で必要な役割を果たし、ひとつの空間として心地よくまとまること。
そこに、彼が建築と家具の両方を手がけた意味があるように思います。
今回のフリッツ・ハンセンカフェでは、I’m waitingの空間に、ヤコブセンのエッグチェアやスワンチェア、セブンチェア、ハイドットスツールなどが並びます。
同じ人がデザインした家具ですが、それぞれ形も高さも、座ったときの感覚も異なります。
ぜひ、実際に腰掛けてみてください。
そして、椅子そのものの座り心地だけでなく、そこから何が見えるのか、周囲の人とどんな距離になるのかにも目を向けてみてください。
エッグチェアでは、少し周囲から離れて過ごしたくなるかもしれません。
スワンチェアでは、隣の人と自然に会話が始まるかもしれません。
セブンチェアでは、テーブルに向かって食事をする姿勢の心地よさを感じられるかもしれません。
家具には、それぞれに得意な過ごし方があります。
アルネ・ヤコブセンという人物を知ると、その違いが偶然生まれたものではないことが分かります。
美しい家具をつくることと、人が心地よく暮らせる場所をつくること。
ヤコブセンは、その二つを分けずに考え続けた建築家だったのだと思います。