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アルネ・ヤコブセン 椅子の向こうに、建築と人がいる

Arne Jacobsen|1902–1971

建築家・デザイナーのアルネ・ヤコブセン

一脚の椅子から、暮らしの環境を考える。

アルネ・ヤコブセンのデザインした椅子を並べてみると、その形の違いに驚かされます。

Fritz Hansen – London Showroom, 2022

薄い合板を曲げた、軽快なセブンチェア。身体を大きく包み込むエッグチェア。左右に翼を広げたような、曲線の美しいスワンチェア。

いずれも20世紀のデンマークを代表する椅子ですが、形も構造も、座ったときの感覚もずいぶん異なります。

同じデザイナーが、なぜこれほど違う椅子をつくったのでしょうか。

その理由を考えるうえで、知っておきたいことがあります。

ヤコブセンは、もともと建築家だったということです。

住宅や学校、市庁舎、ホテルを設計し、その中で使う家具や照明、さらには食器やドアハンドルまで手がけていました。

彼にとって椅子は、単独で存在するものではなく、建築やインテリアの一部でもありました。

画家になりたかった、若い建築家

アルネ・ヤコブセンは1902年、デンマークのコペンハーゲンに生まれました。

若い頃に目指していたのは、建築家ではなく画家でした。

しかし、父親の反対もあり、1924年にデンマーク王立芸術アカデミーの建築学校へ進学します。

そこで建築を学び、1927年に卒業。のちにデンマークを代表する建築家へと成長していきます。

ただ、建築家になったからといって、絵を描くことへの関心を失ったわけではありません。

ヤコブセンは生涯にわたって水彩画を描き、写真を撮り、身の回りの自然を熱心に観察し続けました。

特に好きだったのが植物です。

自宅の庭では300種類以上の植物を育て、その葉や花の形、色彩を記録していました。

植物のスケッチは、のちにテキスタイルの柄にもなっています。

こうした一面を知ると、ヤコブセンの家具に見られる曲線がどこからきているのか分かりそうですね。

1929年、未来の暮らしを想像する

ヤコブセンが建築家として大きな注目を集めるきっかけとなったのが、1929年に発表した「未来の家」です。

共同で設計したのは、建築家フレミング・ラッセン。

当時のデンマークでは、まだ伝統的な住宅の形が広く受け入れられていました。

それに対し、二人が提案した住宅は、白い外壁と平らな屋根を持つ、驚くほど近代的なものでした。

建物の平面は渦巻き状に計画され、車やボートだけでなく、ヘリコプターのための設備まで構想されていました。

玄関には靴の汚れを吸い取る仕組みがあり、食卓では料理を運ぶための回転機構が考えられています。

現在でも少し未来的に感じられるほど、さまざまなアイデアが盛り込まれていました。

この住宅は展示のためにつくられたもので、実際に長く住み続ける住宅ではありませんでした。

しかし、ここにはヤコブセンの仕事の原点がよく表れています。

それまでの住宅の形を前提とするのではなく、新しい技術や暮らし方によって、住宅はどのように変わるのかを考える。

27歳のヤコブセンは、すでにそうした可能性に目を向けていたのです。

海辺の街に、建築と暮らしをつくる

1930年代、ヤコブセンはコペンハーゲン北部のベルビュー地区で、いくつもの建築を手がけます。

海水浴場の施設、集合住宅「ベラヴィスタ」、劇場、ガソリンスタンド。

それぞれ用途の異なる建物ですが、白い外壁や簡潔な形を基調とした、統一感のある景観がつくられました。

1936年に完成したベルビュー劇場は、その代表的な建築です。

夏の劇場として計画された建物には、開閉式の屋根が設けられ、晴れた日には外の光や空気を取り入れることができました。

室内には、海辺の景色を思わせる青と白のストライプが使われています。

劇場のための椅子や照明も、ヤコブセンがデザインしました。

建物を美しく見せるだけなら、ここまで考える必要はなかったかもしれません。

けれど、海辺で休暇を楽しむ人々が、どのような場所で過ごし、どんな景色を見るのか。

そうした体験まで含めて、彼は建築をつくろうとしていました。

後にSASロイヤルホテルで見られる、建築から家具、細部までを一体として考える仕事は、すでにこの頃から始まっていたのです。

市庁舎の家具を、一緒につくった若い職人

1942年、ヤコブセンは建築家エリック・ムラーとともに、オーフス市庁舎を完成させます。

大きな窓を持つ簡潔な建築ですが、内部に入ると、木材や真鍮を使った、豊かな表情の空間が広がっています。

ヤコブセンたちは、建物の形だけでなく、家具や照明、エレベーターのボタン、館内表示の書体まで設計しました。

また、部屋の使われ方によって、家具の材料も使い分けています。

執務室や案内窓口にはブナ材、応接などの格式ある部屋にはマホガニー材。

誰がどのような目的で使う部屋なのかによって、ふさわしい素材や家具を考えていたことが分かります。

そして、この仕事には若い家具デザイナーも参加していました。

ハンス J. ウェグナーです。

のちにYチェアやザ・チェアを生み出す人物ですが、当時はまだ若い家具職人でした。

ウェグナーはヤコブセンたちのもとで、市庁舎に使われる家具の設計に携わります。

今では二人ともデンマーク家具の巨匠として知られていますが、当時は同じ建築の完成に向けて仕事をしていたのです。

このような人と人とのつながりも、デンマークのデザイン史を知る面白さのひとつだと思います。

植物の絵と、妻ヨンナとの仕事

同じ1940年代、ヤコブセンはテキスタイルのデザインにも取り組んでいました。

その仕事で重要な役割を果たしたのが、妻のヨンナ・ヤコブセンです。

ヨンナは布に模様を染める捺染の技術を学んだ人物でした。

ヤコブセンが描いた植物のスケッチを、実際の布製品として仕上げる仕事を支えています。

二人が結婚したのは1943年。

しかし、その年には、デンマークを占領していたドイツ軍によるユダヤ系住民への迫害が強まり、ユダヤ系の出自を持つヤコブセンも、スウェーデンへ逃れることになりました。

亡命先でも、二人はものづくりを続けます。

スウェーデンの百貨店ノルディスカ・コンパニーとの協働により、ヤコブセンが描いた植物の模様はテキスタイルとして製品化されました。

建築家としての仕事が困難になった時期にも、自然を観察し、絵を描き、布のデザインを考える仕事は続いていたのです。

現在、ヤコブセンといえば、白や黒、金属のような無機質な素材を使った、洗練されたデザインを思い浮かべる方も多いでしょう。

けれど、彼のテキスタイルには、花や葉の形、豊かな色彩が表れています。

一枚の合板から、椅子をつくる

戦後、ヤコブセンは家具デザイナーとしても大きな転機を迎えます。

1952年に発表された「アントチェア」です。

アントチェアは、背もたれと座面が一枚の成形合板でつくられた椅子です。

薄い木材を重ねて接着し、熱と圧力を加えて立体的な形に成形する。

その技術によって、軽く、丈夫で、材料の使用を抑えた椅子をつくることができました。

当時、ヤコブセンの事務所には、チャールズ&レイ・イームズがデザインした成形合板の椅子が置かれていました。

木材を新しい方法で加工し、軽く、量産しやすい椅子をつくるという試みは、国際的な家具デザインの重要なテーマにもなっていました。

ヤコブセンは、フリッツ・ハンセンの技術者たちとともに、座面と背もたれを一枚のシェルでつくることに挑戦します。

特に難しかったのが、座面から背もたれへと大きく曲がる部分でした。

アントチェアの背もたれの下が細くくびれているのは、あの曲線を成形するための技術的な理由もあります。

蟻のように見える独特な輪郭は、単に面白い形を考えた結果ではありません。

材料の性質や製造方法を研究する中から、生まれた形でもあるのです。

また、アントチェアは最初から製品化が約束されていたわけではありませんでした。

フリッツ・ハンセンを後押ししたのは、ヤコブセンが内装を担当した製薬会社ノボの社員食堂からの注文でした。

現在ではデザイン史に残る名作ですが、その始まりは、多くの人が毎日使う食堂のための椅子でした。

3本脚のアントから、4本脚のセブンへ

Fritz Hansen – London Showroom, 2022

アントチェアは、当初3本脚でデザインされました。

ヤコブセンは、必要な機能を満たすのであれば、材料や部品はできるだけ少ない方がよいと考えていました。

3本の脚で身体を支えられるのであれば、4本にする必要はない、そんな合理的な考え方が、アントチェアの姿にも表れています。

しかし、椅子の安定感や座面の広さなど、別の要望もありました。

1955年、ヤコブセンはアントチェアの技術をさらに発展させた「セブンチェア」を発表しました。

セブンチェアでは、シェルが大きくなり、標準仕様として4本脚が採用されました。

さらに、アーム付きや回転脚付きなど、さまざまな用途に合わせたモデルも生まれます。

一般家庭のダイニングだけでなく、オフィス、学校、会議室などでも使われるようになりました。

一脚の椅子が、建築の中で役割を持つ

ヤコブセンは、アントチェアやセブンチェア以外にも、さまざまな椅子をデザインしています。

そのひとつが、1950年代初頭に生まれた「ドットスツール」です。

丸い座面と細い脚だけで構成された、小さな椅子。

1950年代にヤコブセンが設計したルードブレ市庁舎では、興味深い使い方がされていました。

待合スペースの壁に丸い背もたれを固定し、その前にドットスツールを並べたのです。

座っているときには背もたれのある椅子のように使えますが、スツール本体は自由に持ち運べます。

椅子の背もたれと座面を一体にするのではなく、建築の壁と組み合わせることで役割を持たせる。

少し変わった方法ですが、そこにはヤコブセンの考え方がよく表れています。

SASロイヤルホテルという、もうひとつの世界

ヤコブセンの仕事の中でも、特に有名なのが1960年に開業した「SASロイヤルホテル」です。

コペンハーゲン中央駅の近くに建てられたこのホテルは、当時のコペンハーゲンで初めての高層ビルでした。

航空会社SASのホテルであると同時に、空港へ向かう旅行者のためのターミナル機能も備えていました。

建物の外観は、ガラスと金属による、非常に直線的なデザインです。

細かな装飾をほとんど持たない外観は、当時の新しい国際的な建築の姿を象徴していました。

しかし、その内部へ入ると、建物の外観とはまた違った世界が広がっていました。

柔らかなファブリック。色彩豊かなカーペット。自然素材の質感。そして、彫刻のような曲線を持つ家具。

ヤコブセンはホテルの建築だけでなく、家具、照明、カトラリー、ドアハンドルなど、内部のさまざまなものを自らデザインしています。

建築とインテリアを別々に考えるのではなく、すべてをひとつの環境として整える。

こうした設計思想は、「トータルデザイン」と呼ばれます。

SASロイヤルホテルは、ヤコブセンの仕事を理解するうえで、最も分かりやすい建築のひとつです。

エッグとスワン

SASロイヤルホテルのために生まれたのが、1958年発表のエッグチェアとスワンチェアです。

どちらも大きな曲線を持つラウンジチェアですが、その形には明確な違いがあります。

エッグチェアは、高い背もたれが頭の近くまで伸び、身体の左右を大きく包み込む形をしています。

広いロビーのように多くの人が行き交う空間でも、椅子に腰掛けることで、周囲から少し切り離されたような場所をつくることができます。

一方、スワンチェアは背もたれが低く、アームが左右へと広がっています。

エッグのように身体を囲い込むのではなく、周囲の人と視線を交わし、会話をしながら過ごしやすい形です。

同じ建物のためにデザインされた椅子なのに、座る人と周囲の空間との関係はずいぶん異なります。

ヤコブセンは、ホテルのロビーにただ美しい家具を並べたかったわけではなかったのでしょう。

人が一人で過ごす場所と、誰かと向き合う場所。

それぞれにふさわしい家具の形を考えていたのだと思います。

彫刻のように、椅子の形を探る

エッグチェアやスワンチェアには、アントチェアやセブンチェアとは異なる製造技術が使われています。

それまでの成形合板では難しかった、立体的で自由な曲面。

その形を実現するために、フリッツ・ハンセンは新しい発泡素材の成形技術を導入しました。

硬質の発泡素材でつくられたシェルにクッション材を重ね、布や革を張ることで、滑らかな曲面を持つ椅子が完成します。

そして、面白いのが、その形を決めるまでの過程です。

ヤコブセンは粘土や石膏を使い、彫刻家のように椅子の形を考えていました。

当時、彼の事務所で模型制作に携わっていたサンドール・ペリエシは、エッグチェアの石膏模型を車に積み、ヤコブセンとともに別荘へ運んだことを回想しています。

そこで模型に石膏を足したり、削ったりしながら、曲面を調整していたそうです。

1950年代の新しい製造技術と、彫刻のような手仕事。

一見すると対照的な二つが組み合わさることで、エッグチェアの形は生まれたのです。

次の世代へつながった、ヤコブセンの仕事場

ヤコブセンの仕事を振り返ると、もうひとつ興味深いことがあります。

それは、彼の事務所から、後にデンマークのデザインを代表する人物たちが育っていったことです。

若い頃にオーフス市庁舎の仕事に携わったハンス J. ウェグナー。

そして1950年から1952年にかけて、ヤコブセンの事務所で働いていたヴァーナー・パントン。

パントンは、アントチェアの開発が進められていた時代に、家具の設計に取り組んでいました。

後に、鮮やかな色彩やプラスチックを使った大胆なデザインで知られる人物です。

木製の椅子を追求したウェグナーと、色彩豊かな未来的家具を生み出したパントン。

そして、建築と家具を一体として考えたヤコブセン。

三人の作品を並べると、同じデンマークのデザイナーとは思えないほど、違った特徴があります。

しかし、それぞれの仕事をたどると、同じ時代の建築や家具づくりの中で、人と人とがつながっていたことが分かります。

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